私は自分が嫌いだなって思うときが多い。
正しく言うと四六時中自分が嫌いだとは思ってはいないが、キライだな嫌だなって思うことは多々あるし、自分を好きになったことがない。
こういう話をしたり、こういった考え方を持つ人に対しての常套句で自分を好きになって、愛してあげて、自分の味方は自分だけ、、、のような話をされる。
なので自分が嫌いだなと思う部分を改善すれば少なくとも嫌いにはならないかなと努力してみたり、ネガティブな感情を切り替えようと自分を無理に褒めたりしてみたけど、これを長年やってみてずっと悩んでみてもいまだに自分の事は好きではないし、どちらかというと未だに嫌いだ。
別に自分の事を嫌いなままでも良い
自分のことがどうしても好きになれなくて、そのことを責めて生きづらく感じてるなら別に自分の事を嫌っているままでいいんじゃないかなと。
嫌いな自分を好きになりたいから行動したり努力することはすごく大事だし1度は試すべきだけどそれでもやっぱり無理だったという境地になってる私からすれば、もういいや嫌いだけど、その嫌いな自分ごと認めてあげて付き合っていこうという考えになっている。
自分の好みと自分自身がマッチしないことってあると思うし、今実体験してる最中です。
だから自分を変えるという事に努力するのはすごい事だけどそれで疲れてしまったり、結果に繋がらなくてより嫌いになることだってあるので、そこまで行ってしまったらもう嫌いなままでいいじゃない。
マツコ・デラックスさんの言葉が刺さった
マツコ・デラックスさんとアーティストのAdoさんが対談してる動画で、
Ado「二年前ぐらいからのテーマが自愛なんですけど、どうやったら自分の事好きになれますかね?」
マツコ「私も自分の事好きになったことないから分かんない」
Ado「あ、ほんとですか」
マツコ「うん、もう血反吐が出るくらい嫌いだもん。自分のこと」
Ado「そうなんですよ。私も本当に嫌いで、自分のことが」
マツコ「でもその血反吐が出るくらい嫌いな自分が可愛くなってくる」
Ado「あー、ほんとですか」(びっくりしたように笑う)
マツコ「好きにはなれないけど、いたわってあげたくなってくる。だから嫌いなままで全然大丈夫よ。
しばらく突っ走ってみたら?
若い内じゃないとさ、突っ走れないことって多いからさ」
マツコ「あと色々突っ走った後、幸せになってほしい」
このやり取りというかマツコ・デラックスさんの言葉が今までの自分と今の自分にしっくりとはまった。
今まで私は自分が嫌いすぎて本当にもがいて変わろうとしたり、逆に自暴自棄になってしまったり、絶望したりとしんどい思いをしてきたけど自分なりに突っ走ってきてはいたなと。
そんな自分が何だかかわいいというか、よく頑張ってるなって労わってあげたくなるっていうのがすごくわかるってなった。
これまで自分が嫌いだったし、これからも嫌いなままだろうけど頑張って生きてきた自分を褒めてあげたいというか。
どんなに自分が嫌いでもやっぱり自分は大切ではあるというか、こんなもがいてる自分のままでもいいじゃないって、それが許されることなんだって感じた言葉でした。
自分が嫌い=幸せになれないではない
自分が嫌いでもおいしいものを食べたら幸せだなって感じるし、好きな作品が映画化したらうれしくて仕方なくて幸せだと感じた経験から別に自分が嫌いでも幸せを感じることはできるし幸せになれる。
私のイギリス人の友人に言われた言葉ですが「幸せは今からでもなれるよ」という言葉。
別に自分が嫌いでつらくても「幸せになること」とは切り離して考えるべき。
自分が嫌い=不幸と混ぜて考えることももちろんできるけど、切り離して考えることもできる。それなら自分が嫌いなままでも外部からの刺激でもなんでも楽しい事や興味のあることに出向いて幸せを感じればいいのはと。
自分が嫌いなままでも幸せになることはできるし、幸せを感じることもできるので自分が嫌いなことで不幸になるという考えはやめることにしました。
